古狐は最果てに居り候

日本の山口県長門市油谷にある向津具産直市「ここや」です。向津具と書いて「むかつく」と読みます。この地は本州の西北端にあり、美しい自然と古代からの伝説が溢れる見どころ満載の場所です。「ここや」は地元の農産物や海産物を販売しながら、向津具の観光案内も行っています。

大浦水上飛行機基地の事実。新発見!

85歳の男性の記憶は正確なものだった!

 6月25日の記事に、大浦水上飛行機基地の竣工式は昭和20年に行われたのではないか?と書きましたが、当時を知る男性は「飛行機はもっと前から飛んでいた」と話してくれたことも書きました。この男性の話が、確かなものであることがわかりました。まずは前回の記事をご覧ください。

cocoyatourism.hatenablog.com

油谷町立川尻小学校の資料によると 。

昭和17年頃 (1942年)地元の婦人会が航空隊兵士たちを慰問した時に、写真撮影したようです。平成4年に、川尻小学校で資料収集と、当時を知る人々からの証言をもとに作成したとのこと。ですから、残念ながら正確な記録が残っていないため、日時は特定できませんでした。すでに当時から、日本は物資不足になっていたため、兵士に食糧を届けて激励するための集まりだったようです。先の男性の話が、正確なものだったことがわかりました。

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後列にパイロットと、士官の姿が見られます。

前回の記事に掲載したこの写真は、先の写真と同日に、撮影されたものだと思われます。昭和20年の竣工式のものではないようです。ウィキペディア、その他の資料によると、「山陰海軍航空隊は昭和20年に編成された」との記録が残っているようですが、日本は敗色濃厚な時期です。正確な記録が残っていないのは、仕方のないことだと思います。それでも、2枚の写真に収まった婦人たちの姿が、戦時中でありながら、毅然として折り目正しくしていることだけは、間違いありませんね。

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1枚目の写真とは、色彩が少し違いますが、カメラが別のものだったかもしれません。

飛行機の正式名称は「二式水上偵察機

慰問の日の記念写真に写っている飛行機についても調べました。フリー百科事典「ウィキペディア」の資料によるとこの水上飛行機は昭和3年(1928年)に日本海軍が正式採用した偵察機とあります。その10年後に開発された零式水上偵察機が単翼の新型であったことと比較すると、昭和17年ころには複葉機であること自体が旧式で、実戦にはあまり役に立たなかったようです。写真は長門市の資料から引用しました。記録では、大正末期(1925年頃)に、旧長門市内に不時着した時の撮影となっていますが、これも時期が合っていません。正確な日時はわかりません。

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長門市の黄波戸海岸に、引上げられたようです。

太平洋戦争末期、日本ではかなりの物が失われ、混乱していたようです。現代がいかに平和で、そして良い時代であるかを、実感させられます。