通学路は北に山があり、南には海岸が
久原地区の児童は小学4年生になると、本校である向津具小学校に通学し始めました。子供の足で1時間の距離。さぞや大変だったろうと思われるかもしれませんが、昭和2~30年代は子供は徒歩で通学するのが当たり前だった時代。当然のように受け入れ、通学しました。また2~3ヶ月もすると徒歩にも慣れて苦痛に感じることもなくなりました。下校時には時間に制限がありませんから、友達同士で遊びながら帰る子も多く、道草を食うこともよくありました。(もちろん校則では禁止されていました。)通学路の両側は自然に恵まれていましたから、色々な楽しみがありました。特にうれしかったのは、山の幸。春には野いちご,グミ、夏にはヤマモモ、秋にはアケビ、ヤマイチジク、椎の実などが自生しており、これを採取してそのまま食べることは、何よりの楽しみでもありました。久原分校を出発点に、現在も残る自然と人為の調和した景観のある場所を紹介しながら向津具小学校へご案内します。
出発点から2km、県道沿い北側の棚田風景です。この田んぼは個人の農家が耕作しており、枚数にして100を超えるほどの広さです。長年のご苦労には感謝するばかりです。
先の写真と同じ地点から南側に目を向けると、こちらも同じ農家が耕作している田んぼが見えます。すでに水が引かれていよいよ田植えの準備が始まりました。
県道をさらに1km、ここは久津漁港の入り口付近になります。写真中央下に左右に伸びているのが通学路の県道。手前にも棚田があります。
向津具の中心に当たる地点。市役所、公民館、農協が併設されています。
久津漁港付近から200m行くと、公共施設があります。ここまで来ると、本校まであと一息。この道を右折して、あと600mの地点に本校が!
たどり着きました。向津具小学校本校です。
3階建ての立派な建物です。残念ながら老朽化のため平成24年に閉校になりました。現在児童はここから近距離にある、新校舎で学んでいます。
旧校舎の時代、最盛期には500人を超えるほどの児童がいて、活気に溢れていました。しかしながら現在は、全校生徒合わせてわずか13人!過疎化がここまで進んでしまいました。
都市部への人口流出が原因とは言え、ここまで生徒数が減ると愕然とする思いがあるのは筆者だけではないはずです。少しでも生徒数が増えて、小学校が末永く存在することに役立てればとの思いがつのる、今日この頃です。小学校の歴史についてはまた別の機会に紹介します。