古狐は最果てに居り候

日本の山口県長門市油谷にある向津具産直市「ここや」です。向津具と書いて「むかつく」と読みます。この地は本州の西北端にあり、美しい自然と古代からの伝説が溢れる見どころ満載の場所です。「ここや」は地元の農産物や海産物を販売しながら、向津具の観光案内も行っています。

その松の大木は、一夜にして姿を変えた。

向津具半島にある一夜松伝説

 向津具半島には神社が三つあります。向津具八幡宮日吉神社、そして亀山神社です。おもしろいのは八幡宮と亀山神社が一本の道路上にあり、500mの距離を置いて向かい合って鎮座していることです。今回の話題、「一夜松伝説」は亀山神社に伝わるものです。なお、地元では亀山神社とは呼ばずに、天神様と呼んでいます。建立されたのは今から600年前の応永年間(1394~1428)で、菅原道真公をお祀りしています。これが天神様と呼ばれる所以です。

 

一夜松とは?

ではその伝説をご紹介します。

建立されてから400年あまり、天保4年(1832)お社が大変傷んだので、新しい お社を建てることになりました。 ところが、境内への参道の中ほどに古い松の大木が生えていました。その木の枝が長く垂れ下がって、お神輿(おみこし)の出入の邪魔になるのでその木を切ってお宮の建築材料にすることになりました。
この話を聞いた、お宮の坂下に住んでいた惣左衛門という七十歳余りの老人が大変に驚き、この神木を切ることは誠に恐れ多いことで、必ず神罰が当たると思いました。そうして、この神木を切るのなら、私の身体も一緒に切れと言ってその松の木に抱きつき、離れようとしないのです。木こりはそれを見てどうすることもできません。その日は切ることをあきらめて、翌朝早くに切ることにしました。
ところが、翌早朝、木こりたちが集まってみると、なんと不思議なことに昨日まで垂れ下がっていた枝がまっすぐに上に伸びて、お神輿のお通りに邪魔にならないようになっていました。
この有り様をみた木こりの驚きは大変なもので、村人たちもこの不思議な出来事は、惣左衛門の真心が神に通じたのだろうと考えて、松の木を切ることをやめました。そしてこの松の木を「一夜松」と名付け、惣左衛門の信心深い心や、神力の偉大なことを語り伝えることとなりました。
今ではその一夜松は亡く、坂の右側に建てられた石碑がこの物語を伝えてくれるだけです。

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石碑上段に右から一夜松碑の刻文があります。

一夜松はどこにあったのか?

写真の通り参道入り口と、境内までの石段の中央あたりに松の木は生えていたと思われます。筆者の想像で枝の生え具合を、赤い線で描いてみました。

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参道の中段、赤い線で示した隣りに石碑が見えます。

写真でもわかるとおり本宮は小さなものです。宮司さんも昔からいません。地域の人々が神社の維持管理、清掃、そして年中行事を行ってきました。数百年に及ぶ伝統は今も受け継がれています。

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撮影日も境内は綺麗に管理されていました。

向津具半島には他にもお社や、祠がいくつかあります。地域の人々の信仰心の篤さがわかります。過疎化が進む中で懸命に維持管理している人々には、感謝の一言しかありません。