県道357線から見た久原分校跡の石碑
前回の記事で、この分校は昭和44年(1969年)に閉校になったと書きましたが、そこから現在まで50年の歳月が流れたわけです。石碑廻りは所有者が整理されていますが、この方も既に高齢者、敷地全体までは管理が行き届きません。またこの地の人口減少は今も続いており、他には誰も維持管理のできる人はいません。筆者(ここや店長)としても何とか、現状維持に少しでも協力できればという思いはありますが、日々店舗運営に追われている日常では手助けもままならぬ状況です。
草木に覆われた、県道沿いにある東西の登校口
東側の登校口が漁港に近いため多くの生徒はこちら側から登校していました。今は草木に覆われています。登り切ったところに石碑があるのですが、これではまったく見えませんね。
県道を西から走って来ると、西側の登校口跡があります。現在の所有者が、車出入のため舗装していますが元々は細い道でした。こちらからも石碑は見えません。やはり草木に覆われています。
分校跡地から東南を眺めると、そこには手長島を指さすように漁港の防波堤が!
画面左下から白い岸壁が湾内に向かって伸びているのが見えますね。これが久原漁港西側の防波堤です。まるで手長島そして対岸のホテル楊貴館を指差しているようですね。週末にはこの防波堤に釣り客が訪れ(多い時でも10人前後ですが)釣りを楽しんでいる姿が見られます。
分校跡地から南西を眺めると、ここにも美しい風景が
こちらの風景も美しいものですが、海岸まで草藪に覆われているように見えますね。でも実はそこまで降りる小道があり、筆者が草刈りなどをして維持管理しています。しかしながら、草木の勢いの強さに押されて、年々思うように作業できなくなってきつつあります。ここの海岸付近は遠浅の砂浜になっていて、わずかながら潮干狩りや海藻の採取できる漁場があります。筆者も子供の頃はここで良く遊びました。今はほとんど行く人はいません。
筆者は幼少の頃からこの海岸風景を見て育ちましたが、日常当たり前のように見慣れた風景には感動しなくなるものです。本当に美しいと感じたのは数十年の都市生活を終えて帰郷し、再びここで暮らし始めた時でした。今は、人為により美しく保たれてきた、この風景を維持し後世に残していきたいと願うばかりです。