古狐は最果てに居り候

日本の山口県長門市油谷にある向津具産直市「ここや」です。向津具と書いて「むかつく」と読みます。この地は本州の西北端にあり、美しい自然と古代からの伝説が溢れる見どころ満載の場所です。「ここや」は地元の農産物や海産物を販売しながら、向津具の観光案内も行っています。

2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

本州最西北端「川尻岬」は周辺にも、美しい自然が連なる。

灯台付近から眺められる風景は、どの方角を見ても美しい。 まずは前回の記事にて、川尻岬の位置とその風景をご確認ください。 cocoyatourism.hatenablog.com その中から、絶景を3点。 地図上に①~③の記号を付けました。すべて灯台から展望台付近までで、眺め…

本州最西北端!川尻岬を探索。

本州最西北端は絶景! 山口県長門市の向津具半島、本州最西北端のこの地のさらに端「川尻岬」、まさに最果ての場所は絶景の宝庫です。今回は、そのいくつかをご紹介します。 今回は、川尻岬付近の日本海に沈む夕日を撮影しました。 まずは展望台の写真から。…

大日本帝国海軍 連合艦隊。油谷湾ニ集結セリ!

昭和初期の連合艦隊の貴重な映像。 昭和初期、向津具半島の南岸を形成する油谷湾に、旧日本海軍の連合艦隊が毎年停泊していました。今回、それを証明する写真2枚を入手しましたので、紹介します。 1枚目は、ホテル楊貴館様所有の昭和9年の写真です。同館のご…

向津具半島には、現在でも八つの神社が存続している!

最果ての地ではなかった!これだけの神社があるとは。 向津具半島の広さは、最長地点でも、東西に15km、南北に9km。そして人口が最盛期でも5,000人未満。この規模の地域に数百年前から、八つの神社が存在し、それぞれに氏神様が祀られていたのです。現代…

向津具半島の歴史は、弥生時代に始まる。

青銅剣は明治34年(1901年)に発見された。 向津具半島、この地に一か所だけある「本郷平野」の東端に、安佐(あんさ)地区があります。ここの王屋敷跡と呼ばれる場所から、明治34年に弥生時代の青銅剣が発見されました。 後に、吉野ケ里遺跡 で同形の剣が出…

大浦水上飛行機基地の事実。新発見!

85歳の男性の記憶は正確なものだった! 6月25日の記事に、大浦水上飛行機基地の竣工式は昭和20年に行われたのではないか?と書きましたが、当時を知る男性は「飛行機はもっと前から飛んでいた」と話してくれたことも書きました。この男性の話が、確かなもの…

我が家の庭からの、油谷湾の眺めは絶景だ!

[http://blog.hatena.ne.jp/-/odai/26006613550729395:title=お題「我が家のここが好き」 好きと言っても、家そのものではありませんよ。 本州最西北端、に位置する向津具半島。半島の南側には油谷湾が広がります。我が家はその海岸沿いの、すこし高台にあり…

昔の米作りは大変だった②

昔の農作業の貴重な写真を、追加発見しました。 前回の記事には2枚の農作業のイラストを挿入しましたが、その作業の実写版を入手しました。改めて、昔の米作りが大変だったのが、理解できる写真です。まずは前回の記事をご覧ください。 cocoyatourism.hatena…

片田舎の独居老人のガーデニング④

花の品種を選ぶのも、ひとつの楽しみ。 ガーデニング、いよいよ熱が入ってきました。どの花を植えようかと、あれこれ考えた末に、今日は上段の2画にポーチュラカ、サンパラソル、カンナを定植しました。当地では、夕方から雨の予報が出ていましたので、それ…

若い頃はよく小説を読んだ。今は読まずに、ツン読(積んどく)だ。

お題「我が家の本棚」 文庫本と新書がほとんどです。 片田舎の独居老人です。若い頃から時代小説は、よく読んでいました。そして、30代の後半から吉川英治の長編小説の、虜になりました。宮本武蔵、三国志、私本太平記 (いずれも講談社文庫、全8巻)を読破…

油谷湾では、連絡船が運航されていた!

連絡船が、一番大事な 交通機関だった。 今から40年ほど前までは、「大浦、久津港」から対岸の粟野まで、油谷湾を縦断する航路で「渡海船(とかいせん)」が運行されていました(とかいせんとは向津具での連絡船の呼び方)。向津具半島西部の人々には、山陰…