古狐は最果てに居り候

日本の山口県長門市油谷にある向津具産直市「ここや」です。向津具と書いて「むかつく」と読みます。この地は本州の西北端にあり、美しい自然と古代からの伝説が溢れる見どころ満載の場所です。「ここや」は地元の農産物や海産物を販売しながら、向津具の観光案内も行っています。

漁法は多種多様。独自の手法に生きる漁業者たち。

大浦漁港の漁業者の数は?

漁業者及び船舶数を一覧表にしました。まずはご覧ください。

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山口県漁協大浦支店の協力を得て作成した表

沖建網漁船、はえ縄漁船について

沖建網漁とは、一般的に言う刺し網を漁船が牽引して行なう漁法です。またはえ縄漁は漁船が牽引する幹縄に、釣り針をつけた枝縄を多数取付けて、魚を同時に釣り上げる漁法です。どちらも大型魚を大量に捕獲する漁法ですから、漁船も高馬力のエンジンを持つ大型船で行うことになります。乗組員も複数人が必要になります。

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15t超級の漁船。船首には漁網引上げ用の設備が見えます。

5t未満の漁船と漁法

一本釣り漁法は文字通り釣竿で一匹ずつ釣り上げる漁法。建網、刺し網は、重りをつけた網を海中に垂らして上部を浮きで固定し、魚の進路を遮断して網に絡ませて捕る漁法で、網を自分で選んだ漁場に設置しておいて、後に時期を見計らって引上げます。どの漁法も一人でもできることから、小型漁船が使われます。

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手前に船外機付き小型漁船、次に5t未満の漁船、一番奥に5t越えの漁船が見えます。

歴史の古い大浦の海女漁

 大浦の海女漁は歴史的に大変に古く、言い伝えによれば永長元年(1096年)福岡県から鐘崎屋九兵衛という人物が一族を率いて、大浦に移り住んで始めたという伝説もあるようですが、正確なことはわかっていません。ただ当地ではあま士と呼ばれ、この仕事に誇りを持っていることは間違いありません。写真は作業中の海女を、漁船から撮影したものですが、手前にあるのは木製のタライで、漁獲したあわび、さざえ、うになどをこの中にため置きする道具です。一息つくときの浮き代わりにもなります。この現場は波も穏やかではなく、海底までの水深もかなりありそうです。重労働であることがわかる1枚です。

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漁をする海女。頭部に水中メガネ、後ろに白く見えるのが足ひれ。

まさに男女問わず海が生活の場所。漁場にいるその時その時が真剣勝負といえる職業です。