幕末の向津具半島には国境警備隊があった!
幕末に黒船が来航し、日本中が騒然としていた時、長州藩(山口県)では武士だけでなく、百姓、町人も国境警備に当たりました。地図で見る通り、国境に近い本州の西北端に位置する向津具半島の泊(とまり)台場には、砲台が築かれていました。おそらく向津具半島の住民も、この砲台で国境警備の任務に就いたのではないかと思われます。
百姓は郷勇隊を組織した。
大正12年(1923年)の記録によると、幕末期の長州藩では「お寺方は金剛隊、相撲取りは力士隊、侍は先鋒隊、百姓は郷勇隊を組織し」いざという時に備えて、軍事教練に励んだようです。郷勇隊は一番小隊が芝崎(旧油谷町内)、二番小隊は大浦、三番小隊は川尻にあったと記されています。泊台場には二番小隊が任務についたと思われます。台場とは、海上防備の必要な場所へ備え付けられた、砲台のことを言います。
砲弾は油谷湾に向けて発射された。
発射されたと言っても、訓練のためのものです。なぜなら油谷湾に、欧米の軍艦が入港したという記録は全くありません。この写真は擁壁の内側を映したもの。大砲は左側の木のあたりに据えられていたものと思われます。
砲台から油谷湾を眺めると、このように見えます。対岸は下関市豊北町になります。
現在の砲台あとが草木で覆われていて、全体写真が撮れないため、筆者の想像で当時のイメージ図を描いてみました。