古狐は最果てに居り候

日本の山口県長門市油谷にある向津具産直市「ここや」です。向津具と書いて「むかつく」と読みます。この地は本州の西北端にあり、美しい自然と古代からの伝説が溢れる見どころ満載の場所です。「ここや」は地元の農産物や海産物を販売しながら、向津具の観光案内も行っています。

歴史

向津具半島の五輪塔巡り、その締めくくりに。

シンボルツリーは守護神木。 「むかつく産直市ここや」のシンボルツリー、巨大な椎の老木。実はこの木の株元に五輪塔が鎮座しています。筆者の住み家の真上にあり、我が家の守り神でもある椎の木。 この存在が、向津具半島の五輪塔調査を思いつかせるきっか…

向津具半島の平家伝説。もう一つの五輪塔。

白木地区にも五輪塔が。 前回、11月6日の記事で油谷島地区と本郷平野の五輪塔を紹介しましたが、向津具半島の入り口に近い白木地区にも五輪塔がありました。しかも県道357線沿いで、昔からの街道の傍らです。地図上ではパタ屋から西へ約100m、県道の南側そ…

向津具半島、平家伝説。続報です。

向津具半島の西の端、油谷島には数多くの五輪塔が。 8月18日平家伝説の記事をお届けしましたが、今回は続編として油谷島地区の五輪塔の調査の成果を投稿します。 まずは前回の記事をご覧ください。 cocoyatourism.hatenablog.com 今回は、油谷島地区で3ヶ所…

向津具半島、ここにもあった!平家伝説が。

なぜ平家伝説は生まれたのか? 向津具半島には平家の落武者の伝説があります。この半島には五輪塔を備えた古い墓が点在し、またそのほとんどに平(たいら)姓を冠した名前が付いています。そのことから向津具半島は、平家の落武者が逃げ延びてきた場所だと考…

大日本帝国海軍 連合艦隊。油谷湾ニ集結セリ!

昭和初期の連合艦隊の貴重な映像。 昭和初期、向津具半島の南岸を形成する油谷湾に、旧日本海軍の連合艦隊が毎年停泊していました。今回、それを証明する写真2枚を入手しましたので、紹介します。 1枚目は、ホテル楊貴館様所有の昭和9年の写真です。同館のご…

向津具半島には、現在でも八つの神社が存続している!

最果ての地ではなかった!これだけの神社があるとは。 向津具半島の広さは、最長地点でも、東西に15km、南北に9km。そして人口が最盛期でも5,000人未満。この規模の地域に数百年前から、八つの神社が存在し、それぞれに氏神様が祀られていたのです。現代…

向津具半島の歴史は、弥生時代に始まる。

青銅剣は明治34年(1901年)に発見された。 向津具半島、この地に一か所だけある「本郷平野」の東端に、安佐(あんさ)地区があります。ここの王屋敷跡と呼ばれる場所から、明治34年に弥生時代の青銅剣が発見されました。 後に、吉野ケ里遺跡 で同形の剣が出…

大浦水上飛行機基地の事実。新発見!

85歳の男性の記憶は正確なものだった! 6月25日の記事に、大浦水上飛行機基地の竣工式は昭和20年に行われたのではないか?と書きましたが、当時を知る男性は「飛行機はもっと前から飛んでいた」と話してくれたことも書きました。この男性の話が、確かなもの…

昔の米作りは大変だった②

昔の農作業の貴重な写真を、追加発見しました。 前回の記事には2枚の農作業のイラストを挿入しましたが、その作業の実写版を入手しました。改めて、昔の米作りが大変だったのが、理解できる写真です。まずは前回の記事をご覧ください。 cocoyatourism.hatena…

油谷湾では、連絡船が運航されていた!

連絡船が、一番大事な 交通機関だった。 今から40年ほど前までは、「大浦、久津港」から対岸の粟野まで、油谷湾を縦断する航路で「渡海船(とかいせん)」が運行されていました(とかいせんとは向津具での連絡船の呼び方)。向津具半島西部の人々には、山陰…

昭和初期、画期的な農機具が発明された!

それは、足踏み式縄ない機。 大正時代末期(1925年頃)まで、農家ではわら縄を、自分自身の手作業で作っていました。縄をなう、と簡単に言いますが、芯になる稲わらにヨリをかけながら、縄をなう作業は熟練を要するもので、そのうえ均一な製品を素早く作るの…

戦時中、飛行場竣工式にて、毅然とした婦人たちの姿。

大浦水上飛行機基地の場所は? 向津具半島にある大浦漁港の西端から、さらに800m西に行ったところに、太平洋戦争末期に造られた、「水上飛行機基地」の跡があります。 当時を知る男性の談話。 現在85歳で、大浦漁港から3km東の地区に住む、男性の話です。…

昔の米作りは大変だった。その中で、牛は大事な労働力であった。

蓑笠(みのかさ)姿の貴重な写真 戦前(1940年)ごろまで、日本の農民は、労働のほとんどを人力で行っていました。雨よけの衣類などはなく、すべて手作りの、蓑(みの)笠(かさ)などを身に付けて農作業をしました。蓑はワラやカヤ製、笠は竹ひごを編んだも…

幕末の国の守りぞ郷勇隊

幕末の向津具半島には国境警備隊があった! 幕末に黒船が来航し、日本中が騒然としていた時、長州藩(山口県)では武士だけでなく、百姓、町人も国境警備に当たりました。地図で見る通り、国境に近い本州の西北端に位置する向津具半島の泊(とまり)台場には…

川尻漁港の捕鯨の歴史は江戸時代、元禄11年に始まる。

魚種はマッコウクジラ。 向津具半島で唯一、日本海に面した川尻漁港。この漁港の最大の特徴は、捕鯨がおこなわれていたこと。その歴史は古く江戸時代、元禄11年(1699年)に始まり、明治42年(1910年)まで続けられたと記録書にあります。また捕獲されたのは…