昭和初期の連合艦隊の貴重な映像。
昭和初期、向津具半島の南岸を形成する油谷湾に、旧日本海軍の連合艦隊が毎年停泊していました。今回、それを証明する写真2枚を入手しましたので、紹介します。
1枚目は、ホテル楊貴館様所有の昭和9年の写真です。同館のご厚意により、実物写真のコピーを提供していただきました。このページを借りてお礼申し上げます。
写真下部の記述には昭和9年(1934年)8月26日68隻が入港とあります。また艦船名に、旗艦金剛、空母加賀または赤城、と書かれていることから、文言の正確さが伺えます。
連合艦隊の油谷湾集結の想像図
写真の図柄から見ると、艦隊の配置と撮影地点はこの地図のようであったかと、思われます。対ソ連を意識して、艦首を北に向けていたことは間違いないようです。昭和9年といえば、日露戦争から30年を経過しており、国名はソ連に替わりましたが、日本人の心には、戦争の記憶がまだ強く残っていたはずです。
昭和7年の連合艦隊の写真
この写真には、昭和7年撮影と記述されています。昭和初期には、連合艦隊は毎年油谷湾に集結していたことは間違いないようです。ただし、昭和9年が最後だったようです。
油谷湾に集結したと思われる艦船を3隻紹介します。
最初の写真に記載のあった、昭和9年に油谷湾に集結していたと思われる、艦船を紹介します。
以下の写真およびデータは、すべてフリー百科事典ウィキペディアから引用したものです。(データは昭和9年当時のものを記載しました。)
詳細は、各URLをご覧ください。
戦艦 金剛(こんごう)
進水 明治45年(1912年)5月18日
排水量 29,330t
全長 214.6m
速力 26ノット (時速約48km)
空母 加賀(かが)
進水 大正10年(1921年)11月17日
排水量 26,900t
全長 238.51m
速力 26.7ノット (時速49.4km)
重巡洋艦 摩耶(まや)
進水 昭和5年(1930年)
排水量 9,850t
全長 203.76m
速力 35.5ノット(時速65.7km)
以上紹介した艦船は、すべて昭和19年までに、アメリカ軍との海戦で沈没しました。他の艦船のほとんども、同じ運命をたどっています。昭和9年、栄華を誇った艦隊は、それからわずか10年後にほぼ壊滅したわけです。平家物語の冒頭の一節、「盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」を思わずにはいられません。