古狐は最果てに居り候

日本の山口県長門市油谷にある向津具産直市「ここや」です。向津具と書いて「むかつく」と読みます。この地は本州の西北端にあり、美しい自然と古代からの伝説が溢れる見どころ満載の場所です。「ここや」は地元の農産物や海産物を販売しながら、向津具の観光案内も行っています。

向津具半島、ここにもあった!平家伝説が。

なぜ平家伝説は生まれたのか?

向津具半島には平家の落武者の伝説があります。この半島には五輪塔を備えた古い墓が点在し、またそのほとんどに平(たいら)姓を冠した名前が付いています。そのことから向津具半島は、平家の落武者が逃げ延びてきた場所だと考えられています。
今回はその代表的なものをご紹介します。
まず、なぜ平家の落武者は向津具半島まで逃げ延びて来たのか?
その答えはまず、この半島の位置にあります。平家滅亡の場所、下関市の壇の浦からほぼ真北に約70km。日本海沿いに歩けば、当時の人の脚で一昼夜で辿り着く距離です。そして最果ての山ばかりの土地に、断崖、絶壁の周囲は海という地形です。隠れ住むには都合のいい環境です。
もうひとつは、この地を管轄する守護代が、平家の勢力下にあったことです。向津具半島まで行けば、匿ってもらえる。この思いひとつでここまでたどり着いたのでしょう。

まずは向津具半島の地理を知っていただくために、航空写真を掲載しました。平家の落武者のものと思われる 、墓の所在地を数字でマークしました。すべてこの地で一か所しかない平地「本郷平野」の周辺にあります。

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さらに理解を深めていただくために、向津具半島での、本郷平野の位置を地図で示しました。
赤線で囲った範囲が本郷平野。①~③が墓の所在地です。この地区以外の土地は、ほとんどが山地になっており、その斜面を切り開いた棚田が点在しています。
ここからは筆者の推測になりますが、落武者はこの地区まで逃げ延びて、守護代の命により、地元の農民による世話を受けて生活し、この地で終焉を迎えたのではないかと考えます。主食である米が、豊富にあるのは向津具半島ではこの地域だけで、余剰米もあったはずです。

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出典は国土地理院地図 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

五輪塔について詳しく知りたい方はフリー百科事典「ウィキペディア」をご覧ください。

ja.wikipedia.org

では主な墓を3点ご紹介します。
①左近太郎の墓
この墓地が、現在ではもっとも整備されてい るため最初に取り上げました。左近とは役職名であると考えられますが、姓名については正確なことはわかりません。

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五輪塔が数多くあることから、一族の墓と思われます。

②平宗清(たいらのむねきよ)の墓
この墓のある地域は、宗清の地名がついています。

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周囲が竹やぶで覆われています。整備が望まれます。

③王屋敷跡の墓
この墓は壇の浦の合戦で入水した、安徳天皇を祀ったものだという説があります。そこからこの場所は、王屋敷と呼ばれているようですが、あくまで伝説です。確かなことはわかりません。残念なことに、五輪塔は崩れ落ちています。

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こちらも少しでも早く、整備してほしい状況です。

平家一族の墓と思われるものは、このほかにも 常信、知国、貞邦、則国の墓などがあり、そのまま地名になった地域もあります。
今回は資料不足で記事にできませんでした。また別の機会に紹介したいと思います。